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少年刑務所でのM奴隷訓練−1

ここでは、「少年刑務所でのM奴隷訓練−1」 に関する記事を紹介しています。
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これは昭和の10年代、私が17才の頃の体験です。
ある時、私に放火犯の疑いがかかりました。
警官に「ちょっと来い」と言われた時、身に覚えのない事なので強く反抗したため縛られて警察に連行されました。
これが生れて初めての捕縛経験です。

この時はたすき縄、そして取調のときは肩どめ縄でした。それはいずれも首に縄のかからないものでしたが、
いよいよ未決として収容されてからは主として菱縄(亀の子縄とも言います)
そして5年以上8年の懲役刑が確定したときから十文字縄や女五方に縛られました。

昔から首に縄がかかるというのは受刑者のシンボルともいえましよう。
一番初め縛られたときは何が何やらわからず足も宙を歩いているような感じでした。

そして激しいショックのためそのまま洩らしてしまいました。
取調べのときも毎朝、牢からひき出される時に縛られるのですが、その頃はとにかく死ぬほど縛られることは嫌でした。

けれどもM傾向が進むにつれて、あれほど嫌だった縛られることが何でもなくなって来たのです。
SMプレイの時たいていのMの人は縛られるとひきつったような顔になっているのでしょうが、
私の場合はうっとりしたような顔となり、Sの人の顔色をうかがったり、縛られていながら笑ったりするのです。
自分ながら変化の大きいことに驚いています。

さて警察に捕えられた私は、大人の留置場とは別にある、太い木で出来た牢格子の監房にぶち込まれました。
与えられているのは黒いパンツ一枚です。
毎日朝九時から夜遅くまでパンツ一枚の半裸状態で縛られ、徹底した取調をうけました。
昭和10年代は人権についてうるさく言われる事もない時代でしたので、ひどい扱いでした。
「とにかく、お前が火をつけたんだな! そうだろう。」
これを繰り返し、繰り返しやられ、黙っていると背中に激しい皮鞭がとびます。
さけようとすると尻へ、そして腿へ遠慮なく白熱の激痛が走ります。悲鳴をあげて苦しみました。
「おい苦しいか、早く言ってしまえ、言ったらお前自身も楽になる。場合によっては返してやる。早く言え、火をつけたのはお前だな」

このように毎日朝早くから夜遅くまでやられると頭がおかしくなって来て
ほんとうに私がやったのかなと思うようになってしまいました。
冷静に考えると、白状すれば返してやると言われた事もそれが本当かどうかすぐ解るはずです。
しかし、牢にぶちこまれるという生れて初めて経験した特殊な環境の中では正常な判断も出来なくなるのです。





一週間目には他の事件の強姦の疑いもかけられました。
「おい、先日の強姦はお前がやったのだろう!」
「……ち、ちがいます……」
「よし、ちがうかどうか調べればわかる。さあ、この瓶にお前の液を入れろ!」

この時は何のことやらわからず黙っていますと、
「嫌か、嫌ならこちらで取ってやる」
あっという間にパンツはひきさげられ、そうすることがあたりまえのようにぐいぐい陰茎を揉まれます。
私は驚いて大声をあげました。
今まで大人の前で全裸になったことも、まして大人からこのような事をやられた体験もありません。
恐怖のためちぢみ上りました。
「こいつまだ包茎か。これではとてもだいそれた強姦なんか出来ないだろうが、まあ取っておくか」
ぐいぐいもまれますが反応は皆無です。そのうち相手が「あっ」と声をあげました。
みると陰茎は血だらけです。私はまっ青になりふるえました。
性器を壊されたように思ったからです。その日はそれで中止され牢に帰されました。

私が少年房に入れられている間ずっと私を監視し、また世話をしてくれたのは年配の警官でした。
その警官が私の性器の傷を診て、手当をしながら静かに教えてくれました。
「お前はだいぶん性的に発育が遅れているな。
 いいか、この全体をおおっている皮と、中にある頭の部分が内側でくっついているのだ。
 それを揉まれたから、ここが切れて出血したのだ。大丈夫、大人はみんなここが離れているのだから、普通の事だ。心配するな」と性器の状態を指し示しました。
「又やられるのですか。……どうすればよいのでしょうか」
「別に心配はない。次にやられたら体の力をぬいて、相手のするようにまかせておけ、お前が縛られているのに相手の手からにげようとして、もがいたから余計に出血したのだ」
「……・」

それから三日後再びやられ精液採取を受けました。
手荒に揉まれるのではなく、緩やかに揉まれました。
このときは教わった通りに反抗せずじっとしていました。
そしてとうとう精液を絞り取られたのですが、この時は、だんだん感覚に変化が表れて来ました。
今まであれ程いやだった肌にくいこむ縄がなんとも云えない快さに変り、
あっという間に体が硬直すると同時に何が何やらわからなくなってしまいました。
初めての凄まじいショックに気を失ったのです。
これが縄に取り憑かれた私のMへの道の第一歩でした。

いよいよ放火犯として裁判にかけられ5年以上8年の懲役刑が確定し、T少年刑務所へ下獄させられました。
T少年刑務所での私の刑は少年としては無期懲役につぐ重刑であったため四級から務めさせられました。
少年囚は一級から四級まで別れ普通は三級から服役するのです。
三級以上は上下にわかれていて同じ檻にぶちこまれた少年囚でも一つ階級が違えば、受ける待遇はおおきく違います。
刑の重い三年以上の者と、三級以上で反則を犯したため懲罰として入れられた者が四級から服役するのです。
服役中、四級少年には凄まじいまでの厳密な締め付けがありました。
四級はいわば懲罰級で少年刑務所の中の監獄とでも言えましょうか。
他級の者からは軽蔑かつ恐れられていました。
またT少年刑務所の少年囚はそれぞれ主に担当する看守が決まっておりました。

 私の担当看守はH担当でした。H担当は50歳くらいで、特高あがりだという噂でした。特高とは「特別高等警察」の略で、旧警察制度で政治思想関係を担当した部門です。そこでは取り調べの時、拷問が頻繁に行われていたと言います。柔道有段者で筋肉質の大きな体躯と鋭い顔つきに、少年囚はH担当ににらまれるだけで怯えていました。

四級では監房を一歩でも出るときは必ず戒具を受けなければなりません。
戒具とは捕縄で縛られる、あるいは両手錠をかけられる等の事です。
他の四級のものは捕縄をかけられるにしても腰縄位で、特にきつい人でも後手位でしたが、
S性向の強いH担当は監房を出るたびに、毎回必ず後手十文字縄をかけておりました。
少年囚をいちいち縛るのはめんどうではないかと云われる方もいますが、
H担当の捕縄術は名人の域に達しており、縛るのに15秒とかかりませんでした。
私もM傾向が強くなるにつれ縛られるのが当然と思うようになってしまったのです。

ぶちこまれてから二ヶ月程のたった時の事です。
T少年刑務所では受刑者の守らなければならないことが数多く決められています。
その中でも特に厳しいのは、看守に対しての反抗、性に対しての反則、脱走、それと少年囚間の喧嘩、の四つで、
これに反則すると重い罰を受けなければならないのです。

T少年刑務所にぶちこまれている受刑者はすべて18才以下の若者です。
あのような特殊な場所に拘禁されていても当然性的な欲求はあふれきます。
獄則中の「性に対しての反則」として少年囚自身による自慰も禁止項目にされているのです。

私は刑が重かったので独居房に入れられていました。
四級は毎週一回監房検査をやられるのです。
これは少年囚が脱走用具等を隠し持っていないか、
反則品を持ち込んでいないかと監房中をひっくりかえされ検査されるのです。
受刑者という名前のもとでは一切信用されないのです。

この監房検査は監房から出入りの際、必ず行われる検身とともに四級少年囚であることを身にしみて、
屈辱感と伴に思い知らされるものです。
検身とは全裸になり、股をひろげ両手を大きく開き上げさせられ、
両手はもちろん口、耳、股の間、肛門の中まで反則品を所持していないか調べられる屈辱的なもので、
初めてやられたときは貧血がおこる程のショックでした。

さて監房検査は不意にやられることもあるのです。
私はT少年刑務所におろされた当初、怖ろしさのあまり夢中で動物的なまでにH担当に服従していました。
下獄二ヶ月程した頃どうしたものか性的な興奮があり、そっと始末したつもりでした。

ところが次の朝に運悪く監房検査をやられ、あれ程注意したつもりであったのに
短い囚衣のパンツに精液が付着してぱさぱさになっているのを発見されたのですからたまりません。
直ちに後手十文字に縛り上げられ戒護係につれて行かれました。
戒護係というのは刑務所の中の警務的な役割で受刑者に対する懲罰はすべてこの係でやるのです。
もともと四級受刑者は戒護係のもとにおかれているのですが、この場合正式な懲罰を受けるためにつれて行かれ、
H担当とは別の看守に引き渡されました。
「お前どう思っているのか」
「はい……申しわけありません。どうか御寛大な処置をおねがい致します」
「反則をみとめるか」
「はい……」
「よし、所長へ懲罰を申請する、いいな」
「……」
しっかりと縄じりをとられ刑務所長の所にひきたてられました。

刑務所長は正しくは典獄(てんごく)と云うのです。
「懲罰を申請致します。四級65号は昨夜反則の性的行為を行い、本日実施された監房検査の際発見されました。証拠は65号の受刑衣のはしの所に精液が付着し乾燥しております。しかしながら65号は反省しておりますので笞刑が適当と思われます」
「65号今の申請通りか」
「はい……申しわけありません」
「よし、懲罰を申し渡す。四級65号を笞刑30に処す。直に執行しろ。
なお今回は65号も反省して居るので正式な懲罰として取扱わない」
「おい、65号、お礼を申し上げ、申言しろ」
「はい、御寛大な処置ありがとうございます。申言致します。四級65号は反則により笞刑30に服します」
正式な懲罰として取扱はないというのは、正式に懲罰として取扱われると
受刑者の受刑記録の身分帳に記入され四級から上の級に進むときや仮出獄に大へん影響するのです。
仮出獄とは私の場合は5年以上8年の刑ですがこれは五年間は刑務所にぶちこむが五年たったら出してやる。
しかしあと三年間はどんな小さな犯罪でも犯すとただちに刑務所に連れ戻すと言うもので
不定期刑と云い少年受刑者にだけ言い渡されるものです。
刑務所に服役しなければならない五年間についても反省して受刑態度がよく、
どんどん進級したならば五年の三分の一勤めれば、
つまり一年と八ヶ月勤めれば出してやるが少しでも悪いことをすると直に刑務所に連れ戻すと言う制度が仮出獄です。
ぶちこまれた少年はこの仮出獄を許してもらいたいばかりに看守に動物的なまでに服従するのです。

 娑婆のわがままいっぱいな少年に比べれば何ともあわれなことです。さて笞刑ですが今の刑務所にないと思いますが当時は正式な懲罰としてあったのです。そしてすぐ別室で全裸にされ尻に30の皮鞭をうけました。性的反則について30の笞打は軽い方でした。笞刑の後、そっと担当のH担当の顔をみたのですが、その目は知らん顔をしておりました。

さて翌週のことです。H担当に捕縛され特別室に連れて行かれました。
この特別室は取調室で拷問もときどき行われる部屋です。
とても頑丈に出来ており入口の戸を閉めると中で大声をあげても外にはほとんど聞こえないのです。
私は連れて来られた意味をはっきり知り青くなりました。今からのどんな責がまっているか想像もつきません。
「おい、65号、お前、担当のおれの顔に泥をぬったな。いつも目をかけてやっていたのにとんでもない事をしでかした。
そして懲罰をうけた。これは反則に対しての罰だからあたり前だ、一体どう思っているんだ!」
「……はい……申しわけありません。……担当さん、どうか……どうか気のすむまで充分に罰して下さい」
「悪いと思っているのか」
「……はい……」
「よーし、そうか。明日、また監房検査があるだろうがそのとき先日のような事が起こらないようにしてやる。その前に、準備しろ!」
 少年刑務所では少年囚をいためつける時は必ず全裸で捕縛してから行います。
受刑者は常々に、拷問時は全裸で捕縛されるという様に躾られています。
「準備しろ!」とは躾られた通り、衣服を脱いで全裸となり、きれいにたたんで置き、自分から進んで、縄をかけてもらうために、
後ろに手を組み、看守の前に立つ事です。
全裸になるのは囚衣が破れたり汚れたりするからです。
囚衣が傷まないように全裸にさせるという事は、少年囚の体より囚衣が大切だということで、
少年囚は人間の取り扱いはされずとてもとても屈辱的です。
私はすっかりあきらめ全裸になって自分から後手になりH担当の前に立ちました。
直ちに肩どめ縄をかけられ、やっとつま先で立てる位の半吊りにされました。
そして尻へ笞がとびます。この時、笞を打つ強さがひどくMの感覚をゆさぶりあげるような笞打ちで下腹部がむくむくと、
みるみる変化して来ました。
「ほら、これだ。こんな具合だから困る。
明日の監房検査で間違いが絶対起こらないように、今から徹底的に指導してやる」
「どうか、どうかお許し下さい」
私は脂汗を出して苦しみH担当看守の手を避けようとしました。

しかし半吊りにされている以上どうすることも出来ません。
笞打ちされながら、下腹部を揉まれているのです。たちまちH担当の手の中に射精してしまいました。
「一回位出したからといって許されるか!そんな事ではまた反則する。今日は徹底的にしぼり取ってやる」
そのうち再びM気がもどり二回目のあの瞬間です。
けれどもH担当の手はすこしもゆるみません。
私は大声をあけて苦しみました。でもだめです。許してもらえません。
ふたたび笞打ちされ、勃起させられて、また揉まれます。
大へんな苦痛のうち三回目の射精です。
そしてのたうちまわるような苦しさのうち四回目です。
体中しびれてしまって何が何やらわかりません。とうとう五回目です。
もう苦しさのあまり吐き続けました。
やっと許されて縄をとかれたときは床にくずれるように倒れ大声をあげて泣きました。
H担当はうす笑いをして獲物をしとめたS的な目で泣いている私をじっとみつめていました。

翌日に監房検査がありましたがあれ位やられたのでM気は全くありませんでした。
その後、毎週、監房検査の予測される前日必ずといってよいくらいH担当に特別室に連れて行かれ、
少いときで三回、多いときで五回たてつづけに精液をしぼり取られました。
これは性的反則のたえない少年囚の「精を抜く」と言う、
規則には載っていない指導方法として暗黙の了解のもとに行われていたようでした。
H担当は私のただ一回の失敗にことよせて、この「精を抜く」という指導方法で私を徹底的にMに仕上げたのです。

これは私の現在のM的傾向を決定づけたMへの訓練でした。
ついには浅ましいことですがそのようなH担当の縄と笞打ちを待ちこがれるようになるまで落ちぶれてしまいました。
性的な事が未発達だった私の性的嗜好は、H担当により縄と笞と射精とが強く結びつけられてしまいました。
それ以外の事では性的に満足できなくなってしまい、
H担当に縛られれるだけで下半身が反応し快感を感じるようになりました。
一度だけ、H担当も性的に興奮しながら、笞打ちを行っているとが判る事がありました。
ある夏の時、いつも特別室に置いてある皮鞭がその日はなかったのです。
すると、H担当は制服のズボンを脱ぎ、ベルトを抜いて皮鞭代わりに笞打ちしたのです。
そしてふと気が付くと、H担当の越中褌の前が大きく膨らんでいたのです。
私がH担当を待ちこがれていると同時に、H担当も特別室での笞打ちを楽しんでいたのです。

しかしこのようなH担当を今はうらむ気持は少しもありません。少年の頃の灰色の又ばら色の苦しく、快い思い出です。

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