> アクセスランキング

自衛隊生徒の試験

ここでは、「自衛隊生徒の試験」 に関する記事を紹介しています。
Popular Posts

私は佐賀県の出身です。昭和40年代以前の佐賀県では、自衛隊に入ることは大変名誉なこととされていました。
私は中学3年生の時、学校の先生の薦めで自衛隊生徒の試験を受ける事になりました。
自衛隊生徒とは自衛隊の技術関係の職務につく曹を養成するための制度で神奈川・広島・埼玉に陸海空のそれぞれの学校がありました。
中学校卒業から高校1年の年齢で入学し、年数は4年。
卒業後自衛隊の曹となり、優秀な者は防衛大学校に進むこともできるという、 いわば自衛隊のエリートコースでした。
ここに入ると言うことは、将来自衛官として、立派に頑張っていけるということです。

また中学校の生徒が自衛隊生徒になるという事は、その地域、中学にとっても大変名誉な事であり、成績の良い子は必ず先生から受験するよう言われ願書を出すのです。

それだけに受検者が合格するかどうかは学校全体の大きな目標であり、当時の受検者は学校の名誉をかけて全力で受験準備をする事を要求されていました。
そして学校だけでなく、市役所、町内会、婦人会など地域全体も受検者を合格させるために全面的な応援をします。
すでに自衛隊生徒になることは受検者個人の問題でなく地域の重要な年中行事でもあったのです。




その年、佐賀県にある我が市で受験するのは5人、私と親友の木下君、それと他校から榊原君ほか3人でした。
私と木下君は陸の生徒を、榊原君は海、他の2人は空の生徒を希望しました。
榊原君は学業の成績もよかったのですが、特に運動能力が大変優れていましたし体格も立派だったので、きっと合格するだろうと言われていました。
また彼は事情があって既に高校生であったため、年齢的には1つ年上の16歳で、見た目も大人びていて、 私らとは格が違う感じでした。
私と木下君は学業は学校でも1,2位を争う程度の実力が有りましたが、体格が少し見劣りしていたため、受験までの6ヶ月ほど体育の先生から受験対策として運動の特訓を受けました。

この地域では毎年、自衛隊生徒受験予定者は夏休みの一ヶ月、合宿して受験勉強や体力訓練を行うことになっていました。
合宿は学校近くにある公民館で行われ、食事は地区の婦人会が賄ってくれます。
そして旧陸軍から警察予備隊、保安隊、自衛官を経て、今は退職して市役所の職員になっている、45歳くらいの寺澤さんという方が指導担当の先生となりました。
自衛隊の先輩として合宿生活全般および受験の心得などを一緒に寝泊まりして指導していただくのです。

7月半ばになると合宿説明会があるからと関係者が公民館に集合しました。
このとき色々な説明や注意事項、今後の予定、各自治会の分担などが話し合われ、決まりました。

説明会も終わって、学校の先生や自治会、婦人会の人が帰って行った後も我々は残されていました。
そして寺澤先生と受検者5人だけになると、先生は受験時の身体検査について話されました。

「自衛隊生徒の受験では、将来、自衛官として幹部・曹になるのにふさわしい生徒を選抜するために厳密な身体検査が行われる。諸君らもすでに先輩に聞いて知っているとは思うが、2次試験の身体検査ではチンボコを詳しく見る検査も行われる。これはチンボコに病気がないか、
十分発育しているかという事を調べるものである。
自衛隊の幹部や曹のチンボコが病気では自衛官として勤まらないのは当然であるが、それだけでなく、チンボコや金玉の発育状態が将来、自衛隊の中核になるのにふさわしいかどうか詳しく徹底的に検査されるから覚悟しておくように。
 いまから受験の時とおなじように諸君らのチンボコの発育状態を検査して、問題があれば合宿までに医者に診てもらう事にする」
と言われました。

そして先生は性器検査がどのように行われるか状況説明されました
「性器検査では検査を受けている者の横に裸のまま並んで待つ。
この時、前の者の検査をよく見て受検手順を覚え、間違えないようにすること。
陰茎検査では包皮を剥き上げて強く握られる。
このとき包茎であることは不合格にはならないが、剥き上げたとき痛がると病気と勘違いされて不合格になる可能性がある。
だからすぐに剥けるように、また剥かれたとき痛くないように包茎は治しておかないといけない。
次に金玉の検査をされる。普通の大きさの金玉が二つあれば合格だが片方しかないと不合格になる。
同じように脱腸も不合格である。
性器のあとは肛門検査となる。床に書いてある、手形と足形に合わせて股を広げ四つん這いとなって、脚をピンと伸ばして検査官に高く尻を突き出す。すると肛門をグィッと広げて検査される。痔があると減点となる。
以上、陰茎検査、陰嚢検査、痔をみる肛門検査で性器検査は終了である。
病気でなければ不合格になることはないが、発育不全では得点が下がるので、包茎は医者に見せて治しておいた方がよいのだ。」
と先生は説明されました。我々5人は全員黙って話を聞いていました。


 話が済むと先生は服を全て脱いで並ぶように言われました。
皆がためらっていると「男はだれでもチンボコを一本ずつ持っておる。何が恥ずかしいか!チンボコを恥ずかしがるようでは立派な自衛官にはなれんぞ。自衛隊では命令されればすぐに裸になるんだ。自衛官になればしょっちゅう衛生検査で性器検査がある。
いちいち性器検査を恥ずかしがるようでは自衛隊はつとまらんぞ」と叱りました。

皆が裸になると先生はまず榊原君から性器検査を始めました。
年上の榊原君は濃い陰毛の中から太い陰茎がぶら下がり、亀頭は八分ほど剥けている大人の性器にまで発育していました。
先生は榊原君の陰茎を握って持ち上げました。
それから握りつぶすように、根元から先っぽに向かって何度もしごくように握り上げていきました。
この時痛がると病気と間違われるので痛くても我慢するようにと注意をしていました。
何度かしごき上げた後、 尿道口を開いて見ていました。
それから二つの金玉を両手で1つずつ握りグリグリと動かしたり、袋の中を探るようにいじって金玉を検査されました。
最後に榊原君を四つん這いにしてお尻を持ち上げさせて、尻を開いて中を覗き、痔の検査をしました。
先生は榊原君の性器の発育状態は満点で合格であると言われました。
その次に木下君が同じように検査され、先生は次々と5人を検査されました。

榊原君はすでに剥けていました。木下君は最初、完全に皮を被っていましたが先生が根元に向かって引っ張るとスルッと簡単に剥けました。木下君は検査されているうちに勃起したのですが、勃起状態になると亀頭が完全に露出していました。
 この2人は先が剥けて亀頭が出たのですが、私と他の2人は剥けませんでした。寺澤先生は剥いて検査しようとするのですが痛くて無理でした。
 先生は「本番の検査時には、包茎でまだ剥けない者でも酷く剥かれることがあるので、簡単に剥けるようにしておかないとダメだ」といい、校医の先生に頼んでおくと言われました。

性器検査が済むと
「諸君のうち3人はチンボコの先が剥けず包茎である。包茎自体は不合格にはならないが、さっきも説明したように検査官は剥いて亀頭の状態を見ようとするので痛くて検査に支障が出て減点されることがあるから不利である。
また性器の発育状況としても包茎はよくないので治した方が試験に有利になる」と言われました。

それから寺澤先生はパンツを脱ぎ、自分の性器を握って5人に見せて
「立派な自衛官は、体だけでなく、チンボコもこのように鍛えなくてはだめだ。
皮を被ったままだと、いざというとき悪い病気になりやすいのだ。」
と言われました。
先生の性器は亀頭が完全に露出し、陰茎全体が日焼けしたように黒ずんだ茶褐色でした。
「自衛隊に入ると先輩の命令で裸になる事もよくあるが、その時は裸を恥ずかしがったり、チンボコを隠すのは禁止だ。
見られても恥ずかしくないように十分からだを鍛えておかないといけない。
また、諸君が自衛官となり、出世して幹部となった時には当直士長や伝令という者が身の回りの世話をする。
時にはチンボコの世話も伝令や当直士長にさせる事がある。
その時、幹部自衛官ともあろう者のチンボコが若い士長のチンボコに負けていたら自衛隊の面目がつぶれてしまう。
だから将来の曹や幹部を目指して自衛隊生徒になろうとする者の試験では、体格は勿論、チンボコや金玉もよく発育し優れていないと合格しないぞ。」
と言われました。

包茎だった3人はその週の土曜日の午後、寺澤先生に連れられて校医のお医者さんの所に行きました。
順番に呼ばれて診察室に入ると、メガネを掛けヒゲを生やした一見怖そうなお医者さんがいました。
「自衛隊生徒を受験するのです」と言うと
「寺澤先生から話は聞いている。君は陸か?海か?空か?陸ならよく鍛えておかなければならないぞ。
すぐに剥けるようになるから心配するな」
と言ってパンツを脱ぐように言われました。

医者の先生は性器の先をいじくりながら検査をしていました。
先生は
「チンチンの先端のこの皮は大人になると剥けて、中から亀頭という部分が顔を出すんだよ。君のお父さんのチンチンにはこんな皮はないだろ。
大丈夫だ。君のチンチンはもう少し待っていれば自然にむける状態にまで亀頭が大きく発育しているんだが、
受験までには間に合いそうにない。
だから、みんなより少し早いけど亀頭が顔を出すようにするんだ。麻酔もかけるから痛みはないよ。
さあ、そこの寝台に寝なさい。」
と言われ寝台に寝ました。

 先生は何か塗り薬を性器の先に塗りました。
それからしばらくすると塗り薬が効いてきたのか性器の先端が麻痺して先生に触られても感覚が無くなりました。
すると先生は、今度は注射器を取り出して性器の先に注射しました。
それから性器の皮を無理矢理、根元側に引っ張りました。
かなりきつく引っ張っていますが麻酔が効いているので感覚は有りませんでした。
そしてまもなくツルッと皮が剥けて亀頭が顔を出しました。
麻酔の効果で痛みは無いのですがすこし血がにじんでいました。
「これでよし。
君のチンチンの亀頭はすでに大きく発育しているから、もうこれで包茎は治って、すぐに皮も剥けたままになるはずだ。
このチンチンなら立派なものだ、少年工科学校や江田島の身体検査でも大威張りできるぞ。
消毒して包帯をしておくから、 今日と明日は風呂は禁止だ」
といわれて家に帰りました。

校医の先生からは父親宛の手紙を預かっていました。そこに注意書きがあったようです。
家に帰って父に手紙を渡すと、父は「そうか、今晩痛くなるかも知れないが心配するな。大人になった証拠だ」と言いました。
家に帰って間もなく性器がチクチク痛くなりました。翌朝にもまだ痛みはありましたが、やがて痛みは気にならなくなりました。

一週間もすると違和感もすっかりなくなり、3人ともクルリと簡単に剥けるようになって、8月からの合宿準備が整いました。
寺澤先生からはいつも剥いたままにして、剥ける癖をつけておくようにと言われていましたが、パンツに擦れると痛いのですぐに被せていました。

こうして夏休みの8月になると受験準備の合宿が始まりました。
日焼けした健康的な体を作るため合宿中の体力訓練はパンツ一枚の裸で行われました。
また包茎者は性器の皮膚を強くする為に常に剥いておくように言われました。そのためか私の性器はいつの間にか剥けていることが多くなり、大人の性器に近づいてきました。

夏休みの1ヶ月間は公民館に合宿し、昼は学校の先生による勉強や体力訓練をしました。
夜になると市役所員の寺澤先生に、少年工科学校や少年術科学校、第4術科学校での行事や自衛官としての心構えなどの精神教育を教えられました。
土曜日の夜には家に帰り日曜1日だけがゆっくり出来るという1ヶ月でした。

自衛隊生徒の試験に合格させようと、地域の大人達が一生懸命になっているので、私たち5人は無我夢中で一生懸命先生方の言われるまま、指導に付いて行くだけでした。

合宿が始まってまもなく夕食後に集合がかけられ、寺澤先生から再び性器検査の練習をさせられました。
この時は、先生がしつこく陰茎を検査するので5人とも勃起してしまいました。
特に包茎を治してもらった3人はすぐに勃起しました。
先生は
「この程度で勃起するようではダメだ。本番の受験ではもっときつく握る検査官もいるぞ。
検査中に勃起すると、減点される事になる。触られても勃起しないように訓練しないとダメだ」
と言い、それからは触られても勃起しないように、性器検査に慣れるため夕食後、 時々性器検査が行われました。

なかなか刺激に慣れず、すぐ勃起する私に業を煮やしたのか、ある時、寺澤先生は風呂に入っている私に、
「勃起しない様にするためには手淫をする事だ」
と言われました。
金玉では子種がつくられる。それがたまってくると勃起しやすくなる。だからときどき子種を外に出さないと勃起癖が治らないのだ、という事でした。
「手淫を知っているか」
と聞かれましたが私は知らないと答えました。
その時すでに私は手淫を行っていたのですが、先生には言えなかったのです。
すると先生は
「こうやって子種を無理矢理出すことを手淫と言うのだ」
と私の陰茎を握り手淫の方法を示されました。
皮が伸びず、また亀頭の粘膜を強くして刺激になれさせる方法です。
包茎者は間違った方法で手淫をするので、よけいに皮が伸びさらに包茎になるのだそうです。
それからは
「金玉に子種がたまっているから勃起し易いのだ」
と、毎日夜、布団の中でこっそりと擦り、寺澤先生に教えてもらった方法で手淫し、敏感な亀頭の粘膜を鍛える訓練を自分なりに行いました。

夏休みが終わってからも、体育の先生の指導で体力訓練は続けられ、学校の授業が終わると近くの山まで駆け足で往復。
学校の運動場に戻ると懸垂、短距離走、走り幅跳び、など筋肉を鍛える事を重点的に行いました。

1次試験は1月に行われました。遅刻すると困るので、前日は公民館に再び合宿して、朝一緒に出かけることになりました。
学科試験には自信がありました。
1次合格したのは陸を希望した私と木下君、海を希望した榊原君の3人でした。
2次試験は2月に行われました。
試験前日の入浴時に
「明日の検査で検査官に失礼のないように先端の皮を剥いて中まできれいに石鹸で洗うように。」
と言われました。

2次試験では知能テストや面接、身体検査が行われました。
身体検査は寺澤先生の話に聞いたとおりの厳格なものでした。
検査は初めから全裸にされ、体重測定や視力の測定までもフリチンのまま行われました。
寺澤先生の指導のおかげで自衛隊式の規律ある行動ができました。
性器を手で隠すことは禁止でした。
陰部検査では陰茎を何度もしごかれ勃起しかかりましたが受験準備の訓練が効いたのか 勃起にまではなりませんでした。
睾丸も痛いほど握って検査されました。
肛門検査も床の手形に合わせて四つん這いになり、大きく尻を上げて検査官の前に尻を突き出して検査をされ、終わると
「よし!」
と言われ、尻をパチンと叩かれて終了しました。
あれだけ練習したので減点はなかったと思います。

試験結果は榊原君と私の2人が合格でした。

入校前にもう一度身体検査を受けました。
内容は試験時の身体検査と同じでしたが、違っていたのは肛門検査です。
痔の検査以外に糞便検査のために肛門へ直径2cmぐらいの先端のくびれたガラス棒を挿入され驚きました。
そして4月に入校しました。
当時の少年工科学校は自衛隊そのもので、大変厳しく失敗をすると今と違ってビンタをされます。
また学校とは言っても全員が隊舎に居住します。先輩には絶対服従となっていましたので、
隊舎の中では相互手淫や男色行為を見聞きすることもありました。

少年工科学校に入校すると年に1回程度、1ヶ月間、区隊長や助教の伝令としての順番が回ってきます。
区隊長や助教の身の回りのこまごまとした雑用は伝令の役目でした。
上官の命令は絶対服従ですから、伝令に選ばれると区隊長や助教の命令や要望はどんな事にでも従わなければなりません。
助教伝令の1ヶ月間は、課業を終えるとすぐに助教のもとに行き、掃除や洗濯、靴磨きをしておきます。助教が帰ってくると浴場についていって背中流し、按摩などをします。腰や脚を按摩しているとき、いつの間にか助教の陰茎が勃起していて、
パンツを大きく突き上げているのを見たこともありました。

寺澤先生が
「上官はチンボコの世話も伝令にさせる」「その時、上官のチンボコが立派でないと自衛隊の面目がつぶれる」
と言われていたことがよく分かりました。
風呂場で背中を流すとき、わざと見せつけるかの様に、
平気で露出させていた助教の性器は寺澤先生のように立派でした。

4年間の修業も無事に終え、卒業後は陸曹になりました。
そのころには私のチンボコも寺澤先生のように黒く日焼けして完全露出し、将来の幹・曹にふさわしい立派な男性性器に変化していました。
関連記事


関連タグ : 露出, しごき, 射精, 身体検査, M検, ホモ,

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する